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韓国語 翻訳の計画性

ヌーボー・レアリストの傍らで、有名無名を問わず若い創作家たちが、物品や破片を寄せ集めながら、金属の廃物を利用して構造物を作ったり、ポスターをちぎってコラージュを作成するなど、続々と新しい試みに身を投じていった。
アメリカの代表的現代詩人A-R・アモンズは、『ごみ』と題した長編詩を発表し、そのなかで「ごみは現代の詩でなければならない」と高らかに謡っている。 たとえば未使用の紙や画用紙といった新しい画材を前にすると、自分の芸術的な才能に自信をもてない人たちは怖じけづいてしまう。
ところが、廃品を利用すれば、気後れせずにすむ。 失敗するかもしれないとか、無駄づかいをしてしまうとか、余計な心配をせずに吹っきれる。
処分するしかないと思っていた材料であるからこそ、安心して作品にのめりこみ、身が入る。 材料を自由に使えることで想像力がひろがりだし、創造力が刺激される。
たとえ識別できてもできなくても、多様な色あいと形をもった要素を比べてみると、そこからいろいろな創造物が思い浮かび、物語が連想されてくる。 たとえば、こんな寓話がある。
海岸で漂着物を拾い集めていた。 薬英、万年筆、ライター、それに、きゃしゃな芸者の体を思い起こさせるプラスチックの小さな棒、騎手の飾り帽を連想させるビンの栓…。

すると、こうした漂流物のなかから、何体かの操り人形が忽然と姿を現した。 現れたのは、アジアのステップに住むモンゴル人であり、女帝であり、当地の住人たち――。
そんな話である。 ごみをめぐってこうした空想が行われる一方で、廃棄物をアートに変えようとする人びとが集まってできたアトリエも存在している。
活気にあふれ、感受性をかき立てる活動が、教育者を中心にさまざまな場所で繰りひろげられているのだ。 指導する教育者たちが思い思いの廃品を集めてきて、大人や子どものグループを招待する。
そこには、気にいった廃品を無邪気に取りあい、自由にいじくりまわし、遊び、創作し、気晴らしを求めて夢中になっている光景が見受けられる。 一九七〇年代、ストラスプールを中心に、「リサイクル・アート」というアトリエがアンプロワーズ・モノによって組織された。
モノは、想像力を豊かにする自由な時間の新しい活用法を提唱して、創造的な実践を行った。 アトリエにはヘルメット、じようろ、穴の開いたブリキ缶、鳥龍、石油ストーブ、形の歪んだフロアースタンド、壊れた洗濯機などの廃物が山と積まれ、無造作に置かれている。
そのがらくたの山のなかで参加者たちは、それぞれ自由に目の前の物をひっかきまわし、獲物をみつけ、議論をし、比較しあい、切りわけ、配列するというプロセスを楽しむ。 ほかにも価値ある素材は多岐に及ぶ。
鉄、木材、ガラス、布、床の舗装材、その他さまざまな廃材である。 金属の破片を寄せ集めて、アーク溶接やガス溶接を行うこともできる。
アトリエの推進者たちは、物を見る視線の訓練を提唱している。 物を見つめる視線が「批評の芽生え」を助け、「社会生活における笑い」を豊かにし、ときに「遊戯的で、ユーモラスで、芸術的な批判精神」を育むという。

言うなれば、残飯を調理するこうした創作法により、「創造の欲望が、一瞬、ユーモアと結びつく」。 あらゆる物と物の断片が、思考と心の記憶とのつながりを結ぶ原動力になる。
一つ一つの物品のなかには別の何物かを暗示する力が備わっているのだ。 たとえば、廃物との偶然の出会いと想像力が、一つの動物物語を生みだすケースがある。
「真鍛でできたヤカンの一部が琴鳥となり、鋤の柄をとった頭の部分が空飛ぶ鷲の姿となり、ヤットコが雌牛の目となる」、といった具合である。 一時期、子どものためのアトリエが、パリのポンピドゥー・センター内に設けられたことがある。
五歳から三歳の子どもを相手に、想像力を刺激する数々のおもちゃを提供していた。 廃物から取りだした物品や素材から、子どもたちは何かを発見し、工夫し、物を作りだす誘惑に誘われてゆく。
子どもたちは、分解した自動車モーターのまわりで車座になり、いろいろな部品を奪いあっては具体的な構想を描き、おもちゃを作ってゆくのだ。 たとえば、ある少女は、眼鏡を真似て自分の鼻に防水性のパッキングをかけた。
別の女の子は、キヤプレターの部品でカメラを作った。 将来医者になりたいという子どもは、耳にケーブルの切れ端をつっこみ、即興の聴診器を作って架空の患者を聴診した。
音の可能性を探究するおもちゃもある。 廃品を吹き、たたき、こすることによって生まれる音が、都会や田舎のさまざまな生活場面を思い起こさせる。
馬のいいなく声、薪割りの響き、乾いたセメントのなかを塗りコテが滑る音など、さまざまな場面が連想されるのである。 冷めたラジエーターの簿板の上に一本の箸を立てて滑らせると、滑らせる速度によって、宝くじ抽選機のようなパチパチとした音を立てたり、モーターバイクのマフラーのようなうなり声をあげる。
また、使い古されたシャワーのゴムホースの両端会二定のリズムで引っ張ったり、ゆるめたりすると、真夏の日比虫たちの合唱が聴こえてくる。 この手の試みは、教育的で芸術的なアトリエを併設するボストンの子ども博物館でも開催された。
ポンピドゥー・センターと同じように、材料として廃物が自由に扱える。 廃物は、主に製紙工場や電気メーカー、家具製造所から提供されたもので、これらは大きな倉庫内にストックされている。
教育的効果や遊戯性、芸術的価値を高める目的で、教員や芸術家、インテリアデザイナーが自主的に廃品の回収にあたっている。 取るに足らない切れ端を使う自発的な創造において、できばえのよしあしや制作に要した時間の長い短いは、ほとんど問題にはならない。

アプローチの仕方こそが重要なのだ。 こうした催しに参加することで、参加者は観客や消費者という受け身の立場から、行為者や創造者という積極的な立場へと移行することができる。
だからこそ、こうした催しの参加者は、自分たちが使っている資材を遠慮なくバラバラにし、壊すことができるのだ。 一九六〇年代、フランスのヌーボー・レアリストたちは、短時間で視覚と聴覚に訴えるいわゆる「アクション興行」を実施した。
興行では、廃物として回収したインテリアや小道具を破壊する行為が繰りかえされる。 この示威運動は、見る者を驚かせ、挑発する。
たとえばニューヨークでは、スイスの彫刻家ティンゲリーが巨大なくず鉄を駆使して構成力あふれる作品を創作した。 その作品には、ラジオ、自転車、ヵート等々が組みこまれていた。
彼は、作品を作りあげてから三〇分後、遠隔操作でこの作品を破壊した。 創作、そして破壊という行動を通じて、「テインゲリーは消費社会のもつ愛憎の勘定を支払った」と評された。
見学者が直接参戸加できる「アクション興行」もある。 たとえば、ニツキー・ド・サン・フアルのアクションは、ガラスの古い小ビンや包装用の色つき紙袋、発煙筒の入った標識などを的にして、カービン銃による射撃遊びを一般に開放したことで有名である。


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